チーム概要
たちばなキッカーズは1968年(昭和43年)11月23日に創設されました。
横浜市港北区下田町で活動をしている少年サッカーチームで、主に下田小学校のグラウンドで活動しています。
運営は父兄等のボランティアにより行われています。
対象年齢は原則幼稚園年長~小学校6年生までであり、学年により下記のクラス分けがされています。
U8クラス 幼稚園年長~小学校2年生まで
U10クラス 小学校3年生~4年生まで
U12クラス 小学校5年生~6年生まで
昔、下田町は神奈川県橘樹(きつき)郡下田村と呼ばれており、みかん畑があったそうです。「たちばな」の名の由来はこの「橘」をもらったもの。
だからチームカラーはみかん色(オレンジ色)なのです。
指導理念
創設当時は、それほど少年サッカーチームも多くなかったのですが、最近では横浜でも少年サッカーチームが急増し、かつては強豪だった「たちばな」も、さすがに上位入賞するのが難しくなってきました。
創設当時の「たちばな」では、本当にサッカーが好きでたまらない子供たちが集まり、サッカーを心から楽しんでいました。
そう、楽しくなければ続けることは難しい。子供たちには楽しいサッカーを!
蹴り損なっては怒鳴り、相手FWに抜かれては怒鳴りでは、いずれ子供はサッカーをつまらなく感じるようになってしまう。
何度も失敗するうちに子供は自ら本能で悟るもの。何で叱られたのか理由も解らずその場だけ言うことだけを聞くのではなく、自らが悟ることにより本当に自分のものにする。10年先、20年先も子ども自身が本心で「サッカーは楽しい」と思えるよう指導したい。
様々なチームがあり、それぞれに指導理念などがありますが、たちばなキッカーズは、創設者である「曽田弘治さんの意思」を受け継ぎ、「子供たちにサッカーを好きになってもらい、押さえつけることはせず、子供たちが主役の、のびのびしたサッカーができるように」を指導理念にしています。
心熱く、そしてやさしい創設者の一言で、長い長いたちばなキッカーズの歴史が始まりました。
創設当時の、ここ下田町界隈はまだ「田園丘陵地帯」の面影を残していましたが、東京圏の人口が急速に伸びつつあった時代であり、昭和42年に下田小から日吉南小が、昭和48年に駒林小が独立するほど児童数が急増していました。
一方、東京オリンピック以来、家庭の主婦が気軽にジャージ姿で買い物に行くなど、スポーツが身近になってきたころでもありました。
そんなころ、下田小学校の校庭で二人のお嬢さんを相手にボールを蹴っていたとき、「サッカーが好きな人がいれば教えてもいいよ」という、子供がとっても大好きな曽田弘治さん(創設者・初代監督であり、当時下田町に在住)の一言から、長い長い「たちばなキッカーズ」の歴史が始まり、現在に至るまで、指導理念に共鳴したボランティアコーチ、子供たちとそのご両親、ご家族の皆様と、実に数多くの方々が愛し、育んできた横浜の草分け的少年サッカーチームなのです。